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会長挨拶

 この度巷野悟郎先生の会長職勇退を受けまして、本年より会長に就任いたしました林 謙治でございます。代々著名な先生方が会長を務めておられた関係上、私自身会長に就くのはいささか気おくれするところでありますが、まずは簡単ながら自己紹介させて頂きます。
 2012年前に厚労省国立保健医療科学院(元国立公衆衛生院)の院長職を最後に35年間の公務員生活を終え、以来民間人として活動しております。若い頃は産婦人科医として臨床に携わった経験がありますが、30代前半から公衆衛生、とりわけ母子保健分野の行政研究・公務員教育及び政府関係の国際協力に従事して参りました。
 私が産婦人科の仕事を始めた昭和40年代の後半から50年代の前半にかけて、まさに第二次ベビーブームが到来した時期であります。当時日本の母子保健水準は国際的にみてすでにかなり高いレベルにありましたが、それでも地域によってはとても先進国と言えないような状況が散見されました。
 私が最初に勤務したところは千葉県の農村地域の病院でした。のちに南米、アフリカ諸国の母子保健に関わるようになってから気が付きましたが、発展途上国とあまり変わらない疾病構造であったといっても過言ではありませんでした。その後、国をはじめ自治体、民間など母子保健関係者の努力により全国的に妊産婦や乳幼児関連の健康指標がさらに改善を続け、国際的にもきわめて高い評価を得るようになりました。

 乳幼児死亡率の低下はまさに平均寿命延長の最大要因でありますが、わが国は結果的に世界の最長寿国になりました。この頃より出生率の低下現象が社会的に注目されるようになりましたが、多くの先進国において人口高齢化は史上初めての経験ということもあって、政策的には社会福祉の側面に力点がおかれた経緯があります。
 以上の文脈のなかで、母子保健への政策的テコ入れは一時水面下に潜ったような印象がありましたが、結局高齢化問題と少子化問題は表裏一体の関係にあるため、母子保健への取り組みは看過できないという認識があらためて顕在化してきたように思います。
 ところで10年以上も前になりますが、日本の医療の崩壊が叫ばれるようになり、そのなかで象徴的なできごととして全国的に相次ぐ小児科・産婦人科医療施設の閉鎖が思い出されます。そのために多くの地域で子どもの夜間診療に応じきれず、あるいは妊産婦が適切な出産施設をみつけることが難しいということが起こり、社会問題化したことがあります。厚労省は地域医療再生基金を設けて周産期医療の充実に向けて大いに努力してきたわけですが、自治体とともにさらに改善することが期待される一方、先に述べた高齢化問題との抱き合わせの少子化政策にも大きな期待が寄せられるようになりました。
 少子化問題へのアプローチは単に医療の問題ではなく、子育てに望ましい社会環境の整備が重要であることが一般に強く意識される時代が到来しました。女性の社会進出が期待される一方、それを可能とする社会環境の整備がきわめて不十分という認識のもとに大きく浮上してきているのが、妊娠期から切れ目なく子育てを包括的に支援しようというものです。昨今厚労省を中心として、その在り方に関する政策化が大きな課題となっており、熱心な議論が重ねられているところであります。昭和初期に作り上げられたわが国の母子保健の基本的土台が再構築しなければならないほどの大変革が予想されると言われております。
 本会議では、定款により国及び地方自治体、関係諸団体と連携協力して、母子保健にかかる啓発活動、必要な事業を行っていくこととしておりますので、これら母子保健、子育て支援の大きな変革にも国、自治体等とともに、次代を担う子どもたちの健やかな育ちのため、努めてまいります。
 また本会議では、全国に6万人の母子保健推進員等を擁する地方各団体の連合体事務局も担っています。行政、専門職と連携した地域の力は今後ますます重要とされてくると考えられますので、母子保健推進会議が果たす役割はきわめて大きく、構成各団体および関係団体とともに力強い一歩を踏み出すことが求められる重責をかみしめながら、会長として頑張っていきたいと考えております。

 また全国に6万有余人活動する「母子保健推進員等」への研修、活動支援を、昭和46年より基幹事業として推進しており、健やか親子21国民運動開始に併せ、「全国母子保健推進員等連絡協議会」の結成に尽力し、同協議会事務局として各種組織育成事業を推進しております。
公益社団法人母子保健推進会議会長 会長 林 謙治(産婦人科医、公衆衛生医)

 

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